1月 | 元旦 | 初詣 |
2日 | 新年祭・初神楽 | |
4月 | 第1日曜 | 春祭り・神楽奉納 |
7月 | 29日 | 夏祭り(禊大祓) |
11月 | 3日 | 秋祭り・神楽奉納・剣崎獅子舞 |
12月 | 31日 | 二年参り |
伝統ある古いお社である八幡八幡宮には、神事や伝説、史話がたくさん伝えられています。今では行われることのなくなってしまった神事も含めて、主な神事と伝説の一部を以下でご紹介します。
「牛王の符(ごおうのふ)というものを作り、本殿でお神楽を奉納した後、お参りの人々に投げ与えます。牛王の符というのは、八幡宮の印を押した紙に、元朝参りの時奉納されたお米を包み、空木(うつぎ)の先を割って挟んだものです。年の初めに今年一年、五穀を始めすべてのものが豊かに実り、栄えるようにお祈りするお祭りです。牛王の符は自宅に持ち帰り神棚にお供えし、春、苗代を作るときに水口(みなくち)に刺しておきますとお米がよく実ると言われています。
この日、白梅の枝で弓を三張作り、矢は篠竹で白紙を矢羽にして、弓一張りに二本ずつ、合計六本つくります。神庭に大的を置き、ご祈祷の後一の矢を的に射ます。この時、的を見ないで射ます。二の矢はその年の恵方に射ます。これを三回繰り返します。この神事は一年の天候を占うもので、矢が的の黒い部分に当たれば雨、白の部分に当たれば晴れ、当たらなければ風と考え、第一矢が年度前期、第二矢が中期、第三矢が後期の天候を表します。
この神事には伝説があります。その昔八幡太郎義家が奥州征伐に出陣したときに、この八幡宮に戦勝祈願しました。その際、白梅の丸木で弓を作り、流鏑馬(やぶさめ)を行い、その勢いで無事奥州の悪者を征伐することができたのです。
あらかじめ1月4日に板鼻の、上の山の鏡ヶ池から「片葉の葦」(かたはのよし)をとってきて、長さ10センチメートル位に輪切りにしたものをいくつか作っておきます。この日、神主が真夜中に拝殿脇のおばん所(昔の護摩堂)にこもり、御田植神事に使った洗米をお粥に炊き上げ、その中に輪切りにした葦を入れて神前にお供えします。翌15日の早朝、神前でこの葦を取り出し、その中に入った粥汁の分量を見て五穀、商売、その他の事の今年一年の吉凶を占います。
旧暦の1月15日の満月の夜、12時に八幡宮の大庭に長さ6尺、約180センチメートルの竹をまっすぐに立ててその影の長さを測ります。その長さの長短によってこの年の水旱、日照りか水害かを占います。
おばいじょうというのは漢字で書くと倍蓰となります。この字は、「ばいし」と呼ぶのが正しいのですが、「ばいじょう」と読み慣れています。倍とは、ものが二倍になること。蓰は、ものが五倍になることで、何事も数倍に増えることを意味する大変おめでたい言葉です。この祭りは、八幡宮の本宮である地主稲荷社のお祭りで、本来は年の始めと終わりに行われるものでした。春、その年が豊かでありますようにとお祈りする祈年の祭り、秋その年が豊かであったことを感謝する新嘗祭にあたる、大事なお祭りだからです。これを名付けて「おばいじょう」と言っているのはこの八幡宮だけのことです。
これは、お禊(みそぎ)のなまったもので、元は、6月30日のみそぎはらい(大祓)のお祭りでした。今日では7月29日に夏祭りとして行われています。
この日の午後、お神輿が本殿を出て参道を通り、国道大鳥居脇の御旅所(おたびしょ)まで渡御します。御旅所でのお祭りの後、人形(ひとがた)を碓氷川に流します。ただし現在は環境保全のため一体だけ流しています。こうして正月からの罪穢れを祓い、これから半年の無病息災を祈願します。
あらかじめ人形に自分の氏名と年齢を書き、人形で頭から足の先までよくなでて、息を吹きかけ、念を込め、これを当日までに神社にお参りして、神前のお辛櫃(おからひつ)の中に収めていただきます。同時に拝殿前に設置した疫病除けの「茅の輪(ちのわ)」をくぐっていただきます。
本来は各人が真水で体を清め、「みそぎ」をし、罪や汚れを払い清めるものなのですが、人形に託し、代わってもらい、また「茅の輪」にもこれを拭い去っていただく神事です。なお、2枚のおふだは、神棚にお祭りするか玄関に貼ります。
なお、御旅所でのお祭りの時にお供えするものの中に、「こわめし」があります。これはもち米をそのまま蒸したもので、色をつけたり小豆を入れたりはしません。他のお祭りの時は文字通りお赤飯をお供えするのですが、おみそげのお祭りの時だけはこのようにお供えするのです。その意味は、心身を清め、身の潔白をお祈りするお祭りなので、「こわめし」も真っ白いのが良いとされているからです。この「強飯」はお祭りの後、その場でお参りの人たちにお分けしています。無病息災の験(しるし)があるというのでありがたくいただくことになっています。
その昔、碓氷川のほとり、鼻高村に老夫婦がおりました。ある夏の、日の照りつける暑い日に、田に出て働き、やがて疲れてしばらく木陰で休みました。麦香煎を、食べようとした時に、どこからともなく長身の一人の僧侶が現れました。そして気高いお声で、「今お前たちの食べているものを私にわけてはくれまいか。」ともうしました。「これは下々の者の食べ物で、とても高貴な方のお口に合うものではございません。」と夫婦は断りました。「私は、卑しい食べ物でも構わない。お前たちが平生、正直で仲良く働いていることに感心しているので、ぜひお前たちの食べているものをいただいきたい。」とたってのお望みなので、おずおず差し上げたところ、大変うまそうに食べた後、西北の森を指しまして、「あの森の中に誰が住んでいるのか。」と尋ねました。「あそこは人の住んでいるところではございません。いなり様のお社です。」とお答えしますと、僧は「私はかねてより救世の宿願があり、あの地に行って濁世末代の衆生を救い、国家永昌のもとを開こう。この地を請いうれば必ずその証を見せよう。」と言って持っていた竹の杖を空に向かって投げ、「我、成仏以来、今に十劫。法蔵、位により、今なおそなわらず。ために、末世の群生を憐れむ。和光同塵。かりに正八幡を現ぜん。」と唱え終わり、忽然と姿を消しました。老夫婦はあやしみ、森に行ってみますと、その言葉の通り、一本の霊竹が生え、枝葉が青々と生い茂っており、これ八幡宮鎮座の奇瑞かと驚きました。しかもこの霊竹は僧の投げた竹の杖が逆さにささったものでした。この「さかさだけ」はその後「目青竹」といって数十年前まで宮司宅の庭にありました。幹がまっ黄色で、葉が、青の中に黄色の縦縞の入った珍しい竹でした。なお稲荷様は地主稲荷社として、本殿の西北にあります。
昭和30年代参道杉並木
上野国一社八幡八幡宮社務所
TEL : 027-343-8957
FAX : 027-343-9550
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