こうずけのくにいっしゃやわたはちまんぐうについて
誉田別尊(ほんだわけのみこと)=応神天皇
並神 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后
並神 玉依姫命(たまよりひめのみこと)
平安時代、村上天皇(第62代)の天徳元年(西暦957年)に京都の石清水八幡宮を勧請をしたもの。
平成19年には御鎮座1050年でした。
当八幡宮は古くから一国一社の八幡宮として広く尊崇されてきました。
代々源氏の崇敬が深く、源頼朝・源義家(八幡太郎)は奥州征伐の折、当社に必勝祈願し、戦勝の結果、社殿を改築されました。源頼朝は鎌倉に幕府を開くと神田百町を寄進し全社殿の改築、参道杉並木の開削、遠鳥居の建立などを行いました。
その後、武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康といった武将たちからも厚く尊崇を受けました。江戸時代には、三代将軍徳川家光以来、社領百石の朱印状を受け、別当神徳寺を始め社僧・神主・社家合わせて28家によって神仏混淆による天下泰平・五穀豊穣・商売繁盛等の祈祷をおさめ、毎年75回の神事を営み、広く人々の崇拝を受けました。(宝物古文書多数保存、そのうちの矢口家文書は市の重要文化財です)
明治維新の改革で神仏分離となり明治5年7月には群馬県第十一管区の郷社に列せられ、第二次大戦後は宗教法人の神社となって今日に至っています。
八幡様は武神としての誉の高い神ですが、もともと子授け、子育ての神として人々の生誕・成長をお祈りするおめでたい神です。
それから転じて万物発生の霊威を表し、物事の始めに当たって邪を退け、生成発展を祈念する神となります。例えば農事にあっては五穀豊穣を、商売にあっては繁盛を、人事にあっては無病息災・開運招福を、そして社会・国家にあってはその安泰と平和共存を祈念する大事な大神となります。
現在の御神楽は宝暦4年(1754年)、京都神祇官領に出願して再興され、能形式を取り入れた古式ゆかしいもので、平成元年3月高崎市の重要無形民族文化財第一号に指定されました。
祭典時には神楽殿で神楽と巫女舞が演じられます。
令和6年3月に、本殿、神楽殿、鐘楼、神門、随神門、天満宮、東照宮、地主稲荷社、日枝神社、以上九棟が県指定重要文化財に指定されました。
算額三面は、昭和31年6月に県指定重要文化財に、そのうちの文化7年(1810年)奉納の額は現存のする県内最古のものです。(非公開)
また鎌倉末期の胴丸二領(非公開)が昭和47年5月に、唐銅灯篭が同17年2月に高崎市指定の重要文化財となりました。唐銅灯篭は県指定の絹文化遺産にもなっています。
上野国一社八幡八幡宮社務所
TEL : 027-343-8957
FAX : 027-343-9550
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